「ゲバルト」展
制度の暴力に対する抵抗の変遷
「ゲバルト : 制度の暴力に対する抵抗の変遷」
« Gewalt : Devenir des résistances à la violence institutionnelle »
この展覧会は、制度の暴力の中で特定の芸術形態がどのように発展していくかを示そうとするものである。それは、同時に、社会活動、反乱、現代の革命的な闘争における芸術の役割を問う。
「ゲバルト」とはドイツ語で「暴力」を意味する。1960年代、日本の国家と警察の暴力に直面した新左翼は、「ゲバルト」という言葉をつかみとった。彼らの語法によれば、「暴力」は体制側による暴力、言い換えれば国家の目的に奉仕する暴力を意味し、逆に「ゲバルト」はその反動、つまり「反暴力」を意味した。反暴力は、法維持的暴力に対するすべての抵抗の副産物として、反乱の手段と正当性についての考察と切り離すことはできない。ヴァルター・ベンヤミンの暴力批判に沿うものであり、 1928年5月1日に『Le Réveil anarchiste (アナーキストの覚醒)』にあらわれたエリコ・マラテスタの言葉も想起させる。彼は、奴隷は常に正当防衛の状態にあり、「主人や抑圧者に対する反乱は、常に道徳的に正当化される」と説明したのだった。
「ゲバルト」展で展示される作品は、反乱のメタファーや積極的参画実践に基づいている。国家の暴力、資本主義の制度的抑圧、あるいは制度的権威主義(プロパガンダ、検閲、監視)に直面したこれらの作品は、様々な反暴力的反応とその美的様式を反映するものだ。
この展覧会は、制度の暴力に対するこうした様々な抵抗の形を視野に入れている。見出される芸術のパフォーマティヴィティや、直接行動で社会に変化をもたらす可能性についての政治的な問いは、歴史的なアプローチに基づいている。
加えて、ゲリラの経験に付随する芸術形態と、抵抗の触媒として機能する活動との対決は、反暴力と非暴力の接点において、政治的行動の様式と呼応しながら、闘争的な芸術表現の様々な様式を検証する。
太湯雅晴
『立て看パビリオン』
インスタレーション、立て看板、木材、他、2024年
太湯雅晴のパビリオンは、現在の政治的な出来事に根ざす学生運動へのオマージュであり、現代日本におけ る1960年代の広範な影響を物語る。
撮影 馬庭裕基
ジャン=バティスト・ファーカス
『従う』
『使用説明書』、2009年
「ゲバルト」展のために、匿名で、怒りや不快感を覚えた服従の行為、または、今も後悔している屈服の経 験について、数行お書きください。
撮影 太湯雅晴
64年前の今日、国会議事堂前で行われたデモで、警察の暴力的な鎮圧によって死んだ活動家、樺美智子の死を記憶せねばならない。我々に、積極的参画に伴うリスクと、反暴力の正当性を再確認させてくれる、すべての殺された抵抗者、すべての脅かされた芸術家、産業機構に押しつぶされたすべての労働者、組織によって残忍に扱われたすべてのデモ参加者に、我々は敬意を表する。
6月15日はエルザ・ドルランという哲学者の誕生日でもある。この優れて急進的な哲学者の活動は、制度による命令に服従しないことの必要性を、我々に教えてくれる。資本主義による、肉体的・精神的暴力は、これまでのデモ参加者を恐怖に陥れ、政治的なトラウマさえ引き起こした。1960年代以降、平和的な抗議活動に対する弾圧によって、あらゆる抵抗に暴力の恐怖を超越する必要性が生まれた。
逆らう 、組織する、斗争する。資本による、制度的暴力に立ち向かい、階級的暴力に立ち向かい、ファシストの脅威に立ち向かい、我々は、自己防衛を訴える!
遠藤薫
『火炎瓶/沖縄/1945』
沖縄のコーラ廃瓶(1945-2022年製)、泡盛の廃瓶、首里城の灰、辺野古と嘉手納基地の赤土、黒糖、珊瑚、 貝殻など、米軍基地払い下げパラシュート紐、1945年製のコーラ瓶、沖縄の砂浜の砂、製作工程動画、 2024年
遠藤薫の作品は、植民地的現象、先住民の記憶、戦争の痕跡やプロレタリアートの表象の狭間にある沖縄の 複雑な社会的現実を表現する。美学的観点から、現代アートと工芸の関係にも疑問を投げかけている。
撮影 太湯雅晴
三宅砂織
『Seascape (Suzu) 2.1』
シングルチャンネルビデオ、11分ループ、2024年
『The missing shade 60-1.』
ゼラチンシルバープリント、26×35 cm、2024年
三宅砂織の作品は、自然と人間の関係性の中で、歴史的瞬間を決定づける「技術」という概念に問いを投げ かける。本展の展示作品は、現代社会における根源的な暴力である「資本世」がもたらす諸問題について、 観覧者に深く考察することを促す。
撮影 馬庭裕基
石川雷太
『GEWALT』 2002年
『GEWALT (GAZA バージョン、UKRAINE バージョン)』
エスキース、2024年
石川雷太の作品は、サンプリング+ミックスの手法により、暴力の正当性と暴力と権力の関係に疑問を投げ かける。平和主義と反暴力的抵抗、反戦運動と社会正義への希求とのつながりに焦点を当てる。
撮影 馬庭裕基
若松プロダクション(足立正生、若松孝二)
『赤軍-P.F.L.P世界戦争宣言』
映像作品、16mm からデジタル変換、1971年
この映画は、1971年のパレスチナ解放人民戦線と日本赤軍の行動の軌跡である。人民の蜂起を宣言する本作 は、パレスチナと日本の戦士たちの日常を記録すると同時に、世界中の被抑圧者と連帯する世界革命を呼び かける。歴史的な瞬間の証言であるとともに、革命の体験に付随する芸術的形式を問う作品でもある。
撮影 馬庭裕基
ミグリン・パルマヌによるパフォーマンス
『Anfleuri ankor (また咲いた)』、ギター演奏:高田風
出演: ミグリン・パルマヌ
音響: 高田風
音源提供 : IeRum Santa Maria
撮影: 太湯雅晴
植民地主義の砂糖で汚れた体をどうやって清めるのか?祖国からの分離に蝕まれた人々の魂を浄化するにはどうすればいいのか?何世代にもわたる砂糖の労働者を癒すために、どのように体と魂を浄化するのか?
バディ・ダルル
『King of the System』
インク染めの骨と古いボードゲームからなるコラージュ作品、26x30x5cm、2019年
この作品では、ある人物が社会の圧力に抗い自分の人生の王様になろうとする。彼の個人的であらゆる方向 に対する反抗は、集団で反乱を組織する必要性を呼び起こす。
撮影 馬庭裕基
FanXoa
『ラモーナ、チアパスの司令官』
「24人のエレクトリック・ヒロイン」のシリーズより一部抜粋、アクリル絵具、コラージュ、2019年
サバティスタ民族解放軍(EZLN) のラモーナ司令官 (Commandante Ramona) の絵 マルコス副司令官の影で、農民女性のために奉仕する勇敢な覆面の抵抗戦士。彼女は先住民女性の尊厳を求 める闘いを象徴している。
FanXoa
『ゾザン、コバニの戦士』
「24人のエレクトリック・ヒロイン」のシリーズより一部抜粋、アクリル絵具、コラージュ、2019年
クルド人民防衛隊 (YPG) のゾザン・ジュディ (Zozan Cudi) の絵
ゾザン・ジュディは、シリア北東部のクルド人準自治区で、彼らのために尊厳のある生活を強く願う一人だっ た。
撮影 太湯雅
FanXoa
『国家に対するペトラ』
「24人のエレクトリック・ヒロイン」のシリーズより一部抜粋、アクリル絵具、コラージュ、2019年
ドイツ赤軍 (RAF) のペトラ・シェルム (Petra Schelm) の絵 西ベルリン・トゥパマロスの失われたヒロイン。1970年代の西ドイツにおける国家暴力への反暴力の体現。 ドイツ赤軍対西ドイツ。
キュンチョメ
『トラを食べたハト』
映像、37分、2018-2020年
2018年から2020年にかけて香港と日本で制作された映像作品。
平和の象徴といわれるハトと、戦争を象徴するトラを巡り、侵略、感染症、愛国、民主主義、抵抗、過去と現在、様々な 記憶と願いが交差する。
これは一枚の布をめぐるお話だ。
これは戦争と侵略のお話だ。 これは民主主義が殺されるお話だ。
これは抵抗のお話だ。
これはハトがトラを食べるお話だ。
撮影 馬庭裕基
Erehwon
『Now here ≠ Erehwon』、ノイズ・パフォーマンス、石川雷太(メタルパーカッション、エレクトロニクス、映像)ほか
出演 : 石川雷太、羅入
撮影 : 太湯雅晴
nadir B. + 三浦 一壮
『Flatness』、オーディオビジュアル・パフォーマンス
出演: 三浦一壮
作曲・オーディオビジュアル・コンセプト: nadir B.
スペシャルサンクス : 志賀信夫様
撮影: 太湯雅晴、平居香子
『Onirisme Collectif#10 -Gewalt-』オールナイト・イベントの共同夢体験
https://cargocollective.com/onirismecollectif/Onirisme-Collectif-10-Gewalt
パフォーマー:Ad Mornings、岡本羽衣×fantome experiments、今宿未悠、山口 ジュン、遠藤 薫ほか